ハンデ(ADHD、メンヘラ、HSPなど)を背負っていると気付いたときの対処法
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自分が発達障害やうつの傾向があると感じたときに考えるべきこと

近年、障害を持つ学生の状況は大きく変化しています。独立行政法人日本学生支援機構の令和2年度(2020年度)調査によると、障害を持つ学生の数はここ10年で約5倍に増加しています。特に精神・発達障害の学生は44%と半数近くを占め、今後も増加が見込まれています。

対象は全国の大学(短期大学・大学院含む)、高等専門学校です。

令和2年度(2020年度)障害のある学生の修学支援に関する実態調査より

参考:https://www.jasso.go.jp/gakusei/tokubetsu_shien/chosa_kenkyu/chosa/index.html

ADHD(注意欠如・多動症/注意欠如・多動性障害)については、児童期には全体の5~10%程度の割合で存在しているという見解が一般的で、小児のADHDのうち、60~80%程度が、成人期のADHDに移行するという報告がされています。

尚、ここで言う障害には、以下が挙げられます。

  • 発達障害
    • SLD ※旧LD:学習障害
      • 限局性学習症
      • 限局性学習障害
    • ADHD ※旧注意欠陥/多動性障害
      • 注意欠如・多動症
      • 注意欠如・多動性障害
    • ASD
      • 自閉スペクトラム症
      • 自閉症スペクトラム障害
      • ※高機能自閉症等:高機能自閉症及びアスペルガー症候群
  • 精神障害
    • 統合失調症等
      • 統合失調症
      • 統合失調型障害および妄想性障害
    • 気分障害
      • 躁病エピソード
      • 双極性感情障害
      • うつ病エピソード
      • 反復性うつ病性障害
      • 持続性気分(感情)障害等
    • 神経症性障害等
      • 不安障害
      • 強迫性障害(強迫神経症)
      • 重度ストレスへの反応および適応障害
      • 解離性(転換性)障害
      • 身体表現性障害
      • 神経衰弱等
    • 摂食障害・睡眠障害等
      • 摂食障害
      • 睡眠障害
      • 依存を生じない物質の乱用等
      • ナルコレプシー
      • 睡眠時無呼吸症候群
  • 他の精神障害
    • 高次脳機能障害
    • 依存症候群
    • 人格障害
    • トゥレット症候群
    • 緘黙症
    • 知的障害
    • 抑うつ状態等

これらの分類・名称は時代で変わっており、アメリカ精神医学会によって共通言語化と標準化のために出された精神障害の診断と統計マニュアル(DSM:Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)に基づいたものです。

(学生向けの)それぞれの疾患内容や支援については、以下支援ガイドから確認できます。

参考:支援ガイド 精神 主な精神障害(独立行政法人 日本学生支援機構)
https://www.jasso.go.jp/gakusei/tokubetsu_shien/guide_kyouzai/guide/seisin_case.html

障害を言いたがる側面

発達障害・精神障害の増加

先の調査結果のとおり、身体障害の学生は一定数を保っているのに対し、精神・発達障害の学生は44%と半数近くを占め、年々増加傾向にあります。
上記の調査は、基本的に医師の診断書が必要でるものの、一部診断書が不要なものも含まれます。
また、身体障害に比べ、精神・発達障害は医師の前で証明するのが難しく、診察まで至れば、診断される可能性が高いものです。
故に、異常を感じ、これらの障害の存在を知りさえすれば、障害者となり得るため、情報が拡散されれば、それに伴って増加する側面も否めないでしょう。

障害者になりたがる側面

ITの発展・発達、SNSを含めた情報化社会の中で、これらの障害の知名度は上がり、一般的になってきました。
普段の会話でも、少しコミュニケーションが苦手な人に対し、「おまえコミュ障だろ」とか「あいつメンヘラだから〜」と軽々しく会話に使われる一面もみられます。
最近ではHSP(Highly Sensitive Person)という、アメリカの心理学者エイレン・アーロン博士が提唱した人一倍繊細な人の特徴を表した言葉も話題です。日本では「とても敏感な人」「敏感すぎる人」と訳され「繊細さん」という言い方も浸透しています。
HSPについては、以下の記事で詳しく紹介しています。

HSP(繊細さん)の特徴と幸せになるために大事なこと

「私は発達障害です」と初対面の挨拶でカミングアウトする人も出てきているようです。
SNS上ではそれよりも前に、アカウント名に「@ADHD」などのように紐づけている人も多く目にします。

メディアを通じて世の中がマイノリティに寛容になり、公言しやすくなったことはあるでしょう。

障害を持っていると認識している人は、うつ病も含め、医者にかかった際に、病名がついてほしいという希望も心理的にあると言います。
医師の話によれば、診断されなかったときに残念がる人も多いそうです。

診断されずとも、「ADHD気味」「ADHD傾向」「軽度のADHD」と名乗る人もいます。
この自ら名乗る人の心理には何があるのでしょう。
そしてそのことのメリットは何なのでしょう。

セルフハンディキャップ

セルフハンディキャップとは、自分自身にハンディキャップを付けることです。
自分の失敗を外的条件に求め、成功を内的条件に求めるための機会を増すような、行動や行為の選択のことを指す概念です。
その中で更に以下の2つの側面があります。

獲得的セルフ・ハンディキャッピング

自らに妨害になるような行為を持ってきて、ハンディキャップを作る現象です。
例えば、試験前にあえてゲームをしたり、部屋の掃除や整理をし、優先すべき作業が分かっているにも関わらず、妨げとなるようなことをする行為です。それにより、成績が悪かった場合には、本当はできるはずなのにと言い訳を作り、自己評価や自尊心を守るための自己防衛のはたらきがあります。また、それで成功した場合は、ハンデがあったにも関わらず自分はできたと自己評価を高められる効果があります。

主張的セルフ・ハンディキャッピング

周囲に予防線を張って、ハンディキャップを作る現象です。要するにハードルを下げておくような行為です。
例えば、試験前に「全然勉強していない」、「体調が悪い」などと予防的な発言をして周囲の友達に広める行為があります。この場合は、事前工作によって、失敗したときには周囲の評価を下げないようにし、成功したときには周囲の評価を高めることができるという効果があります。

障害の考え方

一部で、うつや発達障害を自ら名乗るのは甘えだと主張する人がいます。
上で述べたように、確かに自らが障害者だと気軽に名乗ってしまう事実はあるようです。
しかし、「甘え」という厳しい言葉を使うのは相応しいのでしょうか。

まず、前提として、うつや発達障害でとても苦しんでいる人がいるという事実です。
精神面から身体的な症状や疾患に発展してしまう人がいるのも事実です。

本人やその家族など身近な人が、病名がつくことで安心できる側面があるのも事実です。
同じ苦しみを持っている人が他にもいるということを知るだけで安心する面があるからです。

そして少なくとも何か違和感や人との違いを感じて、辛く感じる部分があるからこそ、その病名を欲するということも確かでしょう。本人の目線と、他人からの目線で強弱があるのも仕方がないでしょう。

過去に比べて発達障害・精神障害の人が増加しているという事実は、このような診断がされるようになったり、名称化したことに認知度が上がったことが関係ありそうですが、個性、特性として遺伝子的に絶対的な量が増えたのかどうかは不明です。昔から変わらず一定数いたとしたら、ひと昔前に比べて周りの理解が広がった分、豊かな環境になってきたとも言えると思います。

カテゴライズの危険性

発達障害・精神障害とひと言で表していますが、目に見える症状、影響があるものもあるので、一概に言えない部分ももちろん多分にあります。
何度も繰り返しますが、うつや発達障害で苦しんでいる人は、辛い状況から抜け出せるように、少しでも良い方向に向かうように、自分らしく幸せに過ごせることを願います。

ここからは、実際に障害を持っている・持っていないに関わらず、考え方について述べたいと思います。

DSMに対する批判

冒頭で挙げたDSM(精神障害の診断と統計マニュアル)は、たしかに精神医学上の診断カテゴリーと基準の標準化に貢献したとして称賛されてきました。しかしながら一方で、論争と批判も生み出しています。
それは、カテゴライズすることにより、そのカテゴリ間および正常とのあいだの人為的な境界線の使われ方がしてしまう恐れや、文化的バイアスを生んでしまう可能性、人としての苦悩を医療の対象としてしまうことが問題となっています。

これらの発達障害・精神障害は、カテゴリひとつの括りの中で大きく強弱の差が存在している状態です。
自覚がなくとも症状の強い人、症状がほとんどないにも関わらず過剰に自覚している人と様々です。

つまり、基準が不透明で測りにくく、グレーな部分が多いということです。そんなあいまいなカテゴリの中に、自ら名乗り、入り込むことの少し危険とも言えるでしょう。

カテゴライズの檻

病名がついたことで、不安をが解消され、一気に好転するのであれば問題はないでしょう。
しかしながら、早い段階で、自分にレッテルを貼り、自分を制限させてしまう恐れだってあるのです。
そして、自ら負のスパイラルにはまってしまう恐れがあります。

障害の内容を知ることで、症状が少なかった人が、「こんな症状もあるはずだ」と他の症状を引き起こす可能性があるのです。身体的な症状があるはずだと考えれば、体に異常がないことの方が不自然に思え、本当に不調を招く恐れがあるのです。

そのような状態は、未来の障害を先取りしているとも言えるでしょう。
自らも周囲からも思い込みや境界線を作る要因ともなり得る、カテゴライズの檻に入るような考え方です。

カテゴライズしない考え方

このようなカテゴリ、呼び名がつく前はどうだったのでしょう。
辛い思いをする人は変わらず同じだけ辛く、度合いは変わらないのかもしれません。
しかし、障害という意識はなく、自他共に、個性や特性という性格の一種として捉えられていたでしょう。

今症状を持ってカテゴリに含まれると認識している人は、その症状今感じる量だけの自分の特性なのです。
そのカテゴリに属しているからといって、他の症状を無理矢理探さないで良いのです。他のカテゴリからも症状を引っ張り出さなくて良いのです。

精神的に強いと思われる誰かと比べたり、誰かに「おまえコミュ障?」と言われたとしても、その場合の基準は自分でなくなってしまっています。他人に診断されているようなものです。

具体的に、「こういうときにこのような辛さがあった」という経験した中だけで辛さを感じればよいのです。
そうすれば、その具体的なことに対する解決だけを考えれば良くなります。

ネガティブな特徴と感じて持っているものがあったとしても、ポジティブな特徴と同様に個性とか特性なんです。ひとりひとり度合いは全く違うものなのです。
そんな個人に対し、世の中が、カテゴリに寛容になるのではなく、ひとりひとりの個性に対して認め合える社会が、本当に豊かな社会なのではないでしょうか。

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