SNSでどこまでプライベートを露出させるか悩むときの考え方
mind_privacy

SNS上にどこまでプライベートを晒すか悩んだときに考えるべきこと

最近は、多様化した社会で、ものごとを決めるための選択肢も増えたように思います。
これから社会に出る学生などにとっても、選択肢の多さに戸惑うこともあるでしょう。
SNSの使い方ひとつとっても選択肢の嵐です。
どれだけSNSやブログ、YouTubeなどに自分のプライベート生活や考え方を公開しているでしょうか。

個人情報保護法が2005年に全面施行され以来、個人情報は厳しく扱われるようになりました。
それと逆行するように、あえて個人情報を晒し合うようなソーシャルネットワーキングサービス「Facebook」が登場し、日本でも爆発的に広がりました。
ここで、プライベートを断固として露出しないようにする人と、積極的に露出する人と極端に分かれるようになりました。

それから10年以上たった今も、個人情報を警戒する人と、構わず露出する人とは分かれており、葛藤している人も少なくありません。
特にこれからSNSデビューをするという10代の人にとっては肝心なところです。親世代の考え方や行動が、子供世代のSNSの使い方に影響しかねません。

さてこれからの時代、どこまで顔を出しましょう。

どこまで顔を出すのか

セキュリティと承認欲求のジレンマ

個人情報漏洩に対する警戒心は、大半の人が持つことができ、ある程度教育も受けているはずです。被害にあった事例などを見て、どのような影響があるかという点も理解しているはずです。

しかしながらそのセキュリティを解いてまでも露出させる力がSNSにはあるということです。
そのひとつに承認欲求があります。

特に10代では友人との関わりが強く、友達同士での共有、共感を欲します。
置いていかれたくないとか、仲間外れになりたくないというネガティブな心理も働きます。
特に若年層ではリテラシーの低さから事件に巻き込まれる場合もありますし、自己コントロールが利かず依存してしまう恐れもあります。

SNSは友人だけではなく世界中の人たちと簡単につながることができます。
面白い写真や動画が撮れたりすれば、多くの人から「いいね」が欲しくなります。

承認欲求は求めればキリがなくなってしまうのです。

また社会人になれば友人関係だけでなくビジネスツールとしても活用されます。
仕事を有利にこなせる面もあります。

これらによりプライバシーの露出に戸惑いながらも、多くは欲求が勝ったような格好でSNSを続けています。

オープンにするほうが楽

プライバシーをオープンにすることは、ひととなりを伝える上で非常にスムーズです。
まだ見たことのない人をSNS上にある情報から判断するときのことを考えてみるとよいでしょう。

顔写真や性別、年齢、住んでいるところなどの基本情報から、仕事や趣味志向、日頃の考え方など細かい情報があればあるほど、その人を判断しやすくなるはずです。
そして信用があると判断できれば、ためらうことなく接触することができます。
はじめて入る飲食店を判断するのと同じようなものですね。

関わりそうな人ひとりひとりに対して、頑張って信頼を得るよりも、普段から自分のことを発信して、相手から知ってもらう方が断然楽なのです。

問題は、関わりそうな人だけであれば良いのですが、不特定多数に晒すことになる点です。
そしてそのトレードオフは皆理解した上で行っているはずです。

正解はない

プライバシーを晒した方がよいのか、断固として避けるべきなのか、どちらが良いとは言えません。
しかし言えることは、我々は、顔を表に出した人の成功しかほとんど見ていないということ。

情報発信者は、その時点ですでに顔を晒しています。ある程度の情報を晒しつつ、代わりにお金を受け取っていると言えます。
仕事の成功談などを語るYouTuberを例にしても、成功への同じ道を歩もうとしたら、どうしたってその人と同じだけの情報の露出は必要と感じます。

露出の度合いもあるでしょう。
例えば最近では裏方仕事であったアニメや映画などの声優も表舞台で活躍しています。
一方でドラゴンボールの作者で有名な漫画家の鳥山明は断固として顔を出さないようにしています。

皆どこかで境界線を引いているのですが、成功体験や将来性など色々考えた上で、各人がそのラインを調整していることでしょう。

ここで大事なのは、そのラインには意味があるべきということです。

その個人情報はどうしても必要なのか

今晒している情報は本当に必要な情報でしょうか。
今ひいている境界線には意味があるのでしょうか。
ビジネスとして将来性を見越して(お金の源となるお客さんの獲得など)計画されたものなのか。
何も考えずにただ「いいね」が欲しいとか、有名になりたい、バズったらラッキーというものなのか。

そもそも生き方として、有名になる必要はあるのでしょうか。
面が割れてしまうと、普段の生活にストレスが伴う可能性があるということも事実です。
普段テレビで観ている有名人も、テレビの中では平生を振る舞っていても、いつも見られている恐怖を感じたり、気が抜けなかったりとストレスを感じているものです。

昭和史を裏で動かしたという逸話を持つ人物がいます。
それは安岡正篤(やすおかまさひろ)という人物で、昭和の政界、財界に多くの貢献をしたとされています。
政治では、吉田茂、岸信介、佐藤栄作らの総理の陰で助言をしながら裏で歴史を動かしたと言われています。
特に佐藤栄作総理のときには、戦後の沖縄返還のために当時のアメリカ大統領との交渉会談を引き延ばす策を講じたり、終戦を告げる天皇陛下の「玉音放送」の原稿にも関わっていると言います。

その安岡氏は、中国の古代からの教えを噛み砕いて「有名無力 無名有力」という言葉を残しています。
これは、「有名であればあるほどしがらみが増え、動きが取りづらく、力が発揮しづらくなってしまうが、無名であり続ければ陰から力を発揮し続けることができる」という意味です。

これからの時代

さて、これからの時代は、「有名無力 無名有力」の考えは通用しないのでしょうか。
それとも真剣に考えなかっただけで、無名有力の選択肢もまだまだ広がっているのでしょうか。

一度でも晒した情報は、デジタルタトゥーとして残る可能性があります。
将来のための露出が、過去の情報によって足止めを食らう可能性だってあるのです。

自分なりの境界線をひくときには、将来あるメリットと、デメリットについて想像力を膨らませ、具体的にイメージした上でひきたいものです。

尚、SNSにプライベートを晒した方がバズりやすいとかビジネスに有利だと考え、焦りを感じたり悩む場合は、以下の記事も参考になります。

会社に依存せずに自分の力で生きなければならないとプレッシャーを感じるときに知るべきこと パート1

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事